2008年10月2日木曜日

さらば,番長

清原が昨日,引退した。

オリックス・バファローズの本拠地大阪ドームが満員の歓声に包まれ,なぜかランニングの長渕が「とんぼ」を熱唱し,イチローが,金本が,下柳が観戦する中,右打ちのタイムリーを放ち,プロ入り後全ての関連球団に,同僚選手に,感謝を告げてのフィナーレとなった。




清原と桑田は,切っても切れない縁で結ばれている。

桑田は引退を表明した直後,清原の元を訪れてフリーバッティングの投手を務めた。「ラスト3球」と清原に言われ,全力で投じた一球目が力んで上ずる桑田。清原が「若いねぇ」という。二球目ファール,三球目を空振りで終わった清原が「もう一球!」と言ってくると思った桑田は,予想に反して「ありがとう」と言った清原に対し,積年の想いが溢れ,マウンドで後ろを向いて号泣した。

清原はそれを笑顔で見守る。

高校時代からのライバルで,一時期プロ入団後は疎遠になり,巨人で合流し,奇しくもほぼ同時期にプロを引退する二人。

桑田の,「なんだかんだ,ファーストをキヨが守ってると安心するんだよね」という言葉が胸を突く。


そして,昨日の最後の挨拶を聞いて,「人間最後は感謝で締めくくりたいもんだ」との思いを新たにした。

清原といえば,巨人でボロボロになって以降はなんだかちょっとミソがついたように言う人もいる。

しかし,キヨが西武の黄金時代に不動の四番として君臨していたのは事実で,かつ,その時期西武はやたら日本シリーズにも勝ち続けていた。巨人でも日本一になり,今年,若干地味&お荷物感のあったオリックスがクライマックス・シリーズ出場を決めた。

立派な,立派な仕事をしてきたと言えるだろう。


いわゆる3冠タイトルをとっていないことから「無冠の帝王」と呼ばれることもある。

しかし,清原ファンから言わせてもらえば日本記録の四死球は,立派な勲章だ。
サヨナラの数が日本一であることも立派だ。実は守備もセンスにあふれ,昔は脚も早かった。

筋肉番付でヒクソンと綱引きをして勝ったことのある野球選手はキヨだけだ。


プロってすげぇなと思うのは,多くのバッターは,いわゆる普通の打率より得点圏打率の方が高いという点。勿論打席数が全然違うから単純比較は許されないことは分かっているが。やはり,チャンスに打てるからプロになっているし,超一流は更に印象に残るヒット・ホームランを多く打つものだと思う。

ドラフトで泣き,日本シリーズの対巨人戦で泣き,巨人を戦力外になり泣き,桑田の引退に泣き,そして最後に泣きながらの引退であった。男清原,見事な散り方であった。




あやしいエピソードは満載の男であり,検事も都市伝説的なものはいくつも知っている(事実として挙げられるのは,球児に対する「ついとんのか」発言や,死球を当てすぎた藪の心が折れた件など。)が,ここに記すべきではないだろう。うんちくは,「荒れない」を目標にしている。


ただ,一つだけ言いたいことがある。

ケビンの肉体改造は,清原にとってプラスだったのか?ということだ。
肉体改造後の度重なる肉離れと関節の崩壊をみていると,肉体改造前の「骨系」の怪我についてはやむを得ない(死球など)点もあったものの,肉体改造後の怪我は,パワーというよりしなやかなバッティングが持ち味だった清原が支えきれない体重をもたらしただけだったのではないかとの思いを禁じ得ない。



昨日,全ての打席に直球を投げ続けた杉内(検事たちと同い年。)。
最後の打席のボールは審判から清原に渡されたが,試合後清原から杉内の下に届けられたという。

「杉内へ 最高の球をありがとう 清原和博」

と書かれて。